蕾光
ガラスは無色透明が一番美しい。周りの景色、光、時間までも、その体内に取り込んでしまう。素材力は、他には類を見ない。しかし、それゆえ扱いが難しく、一歩間違えれば、自己の言葉が素材を通して投影する前に、その美しい「固まり」の中をスルリッと通り越してしまう。かつて、その透明度を高める為に様々な試行錯誤がなされた。水晶の様な透明度を追求する為に鉛を混ぜ、出来たものが俗に言う「クリスタルガラス」である。究極の透明度、究極の屈折率はその性質を生かし、レンズ等の光学ガラスの主流となっている。表面をカットしたクリスタルガラスは、限りなく透明な体内に入った光の行き場を失わせる事により、鋭く、光り輝くのである。その様はまるで摩天楼か満月の夜に反射する海面のようである。光に良く反射し、輝くガラスに対して、私の作るガラスはそれと異なった輝きを放つ。どちらかと言えば鈍く、ぼんやりとその体内の光を映し出す。鋭く切り刻むように光を反射するのではなく、ぼんやりと「蓄光」する。すなわち光を体内に柔らかく溜め込むのである。ガラスの表面を独自の方法で覆われたガラスは、体内に溜め込んだ光の固まりとなり、生命を帯びるのだ。硬いガラスが柔らかい「水」の様であり、生命を守る「液体」でもあるかのように柔らかい光がガラスを変化させる。表面に銀で描かれた文様は、その滑らかな優しい光に影を映し出し「言葉」を与える。
大場匠