「楽」
“芸術は潜在意識から来るもの??”これが私の実感としての言葉だ。
目に写るものは絶えず変化し消え去る。心に強く印象付けられたものでさえ時間の経過により忘れ去られる。今自分は何に拘っているのだろう・・、どんな生き方をしているのか、よい生き方は、と考えていた日々。
たとえば移ろい行く世界に幼子がひとり放り出されたら不安感から泣き出してしまうだろう。そして母親が手を差し伸べてくれるまで、力尽きるまで泣くことをやめないだろう。今まで目の前にあった不動の存在がある日崩れ去った時、たとえば天変地異、経済状態の動向、事件などの犯人が逮捕されていない状況の直接影響を受ける者にとっては不安この上ない。
やはり人間生きて行くうえで安心安定を求めているのも事実だ。社会は安心安定のためのモノ(ソフト、ハード)を生み続けている。野生動物と違う人間に相応しい社会を作ってきている。社会は安心安定を想像し創造した、ひとりひとり人間の心の安心安定のために。
パソコンで2008年現在、写真のような画像を表現(モニターで表出)できる(至極アタリマエ)。それはパソコンの中に表現出来るソフトが入っているから。では人間の心の中にはどのようなソフトが入っているか?現在意識は目の前の物事を捉える。過去のデータから比較し結果をもたらす。たとえば“不安”と。しかし心の中では安心安定を願う心が生まれる。そして回避の行動をとる。安心安定を願う心は潜在意識から生まれてくるしか考えられない。これを「インスピレーションがわく」と言うのかもしれない。この不思議な回路を持つソフトを人間は持っているらしい。そして使い続ける事が大切と感じる。その使用結果は芸術表現によって報告される。それが『楽』しいと感じる今日この頃だ。このソフトがあたりまえに使いこなしてこそが真の人間と言うのかもしれない。
木原 純
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