リトアニアに遊んだサルトルとボーボワール 写真展
Jean-Paul Sartre and Simone de Beauvoir
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by Antanas Sutkus
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2002.12.07-25
2003.01.07-25
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リトアニアの写真家アンタナス・スツクスが1965年リトアニアの景勝地ニダ(Nida)に遊んだジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーボワールを秘密取材した貴重な写真を展覧。
20世紀に何が起こったのか、抗独運動に燃え、そしてスターリン主義を批判したサルトルがおりしもモスクワで開かれた数々の会議に出席した後、リトアニアの砂丘でボーボーワールとひとときを過ごしました。全体主義のソビエトと文学に何が起こったのかはその後のサルトルの行動に見ることが出来ますが、スツクスの記録した写真の中にも激動の時代に垣間見たわずか2週間の安堵した二人の表情を見ることが出来ます。 |
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リトアニアを訪れたサルトルとボーボワールの横顔
ミランタ ジュレナイテ
写真集「Jean-Paul Sartre and Simone de Beauvoir in the eyes of Antanas Sutkus Lithuania,1965」より
ジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーボーワールがリトアニアに滞在したのは1965年の夏のわずか一週間のことであった。到着と同時に、彼らの滞在日程はある若きリトアニア人写真家、当時はまだ無名であった26才のアンタナス・スツクスによって記録されることとなった。こうして100枚からなる唯一無二の芸術作品が誕生したのである。
当時、外国人がソ連へ旅行、特に著名人の訪問に関してはソ連政府のある機関によって計画が立てられ、監視下におかれるの常である。例外にもれず、招待客は常に付き添うモスクワの監察官による厳しい監視下におかれることとなるのだが、同時に彼らは通訳者としての役割を果たしてもいたのである。また、同国の著名な作家であり、文学界公認の代表として、エドアルド・ミエゼラティス、およびマイコラス・スルキスらが同行していた。だが、個人的な働きかけと、全くの偶然により、スツクスはこの異例かつしっかりと組織された団体に合流することが出来たのである。
スツクスは、ジャン・ポール・サルトルは写真家が同行していることは知らなかったと回想している。滞在の最後の日、昼食の席にて作家はスツクスに、彼が散文を書くのか、詩を書くのかと尋ねた。が、その返答「写真家です」という言葉は、作家に少々の混乱を招いたようである。サルトルは写真家は一人のみ、共に仕事をしていたが、何も反論することは出来なかったすべてはすでになされた後であったからである。
これからの写真は単なる記録(年代記)ではなく、当時の特殊な空気を伝えるものであり、我々に多くの疑問を投げかけるものである。イメージの解釈は現在の知識によるところが多い。この旅に参加した者達にとっては、多くの事柄に対し、ただ単に憶測するのみであったかもしれない。そのため、これら残存する記憶の断片は主観的なのである。
多くの写真、断片に次ぐ断片により、物語が構成されてゆく。最初は招待客がビリニュス空港に到着するところから始まる。作家達は公的でない、プラーベートの滞在を望んでいた。そのため到着歓迎のセレモニーは簡素にとりおこなわれる。彼らには、白いマーガレットの花束が贈られた。車に乗り込む直前、サルトルは飢えたようにガツガツとせわしなく煙草を吸う。次にニダにおいての風景、パランガに短時間乱入し、カウナスの古い街、美術館等を巡り、直ちに出発。絶頂もなく、喧噪も、ましてや出会いも多くはなかった。
スツクスによって観察され、とめられた動作の数々は緩慢であり、静かであり、ひっそりとして見える。場所も状況も繰り返される。観客は、歩を緩めなくてはならない。連続した場面(シークエンス)では、観客に読書をするようにゆっくりと、首尾一貫した知覚を課すものである。
外的な出来事が少なかったため、詳細や些細な行動が重要な意味を持つものとなる。
この小さなグループの中で、サルトルは内気であるように見え、あまり社交的に振る舞ってはいなかったようである。数日間の写真の中では、旅仲間同士でかわされる視線や会話等は捕らえられていない。ときおりシモーヌ・ド・ボーボワールの顔が大きな微笑みで輝いたのみである。しかし、彼女とて現地の作家達と全く会話を積み重ねたという形跡はない。同時に同じ場所にいたにもかかわらず、これらの人々との間につながりは存在していない。猜疑心や嫌疑といった当時のソ連に満ちていた空気によるものであろう。
反面、写真はサルトルおボーボワールの間の絆の存在を-直接的な関わりはなかったにしろ-示しているように思われる。これは疎遠であるのか、それとも会話の中での小休止なのか?彼らはそれぞれ自身、単独でありつつも一体だったのか?
この二つの海と林に挟まれた砂漠、クルシュ海は彼らが内なる自分に集中する一因となったのではないだろうか。
写真家は、ただこの作家の二人にのみ、注意を向けている。彼らはほとんどの時間、単独でいることはなかった。しかし、彼らに随行する他のメンバー達は、殆ど背景に浮かぶ人物画のようにも見える。写真家は、彼ら個人の内面の世界の観察などはしていない。それゆえ、彼ら随行者達と主役を結ぶ関係などを特定することは難しい。スツクスの目的はレポーターや記録者的な役割ではなく、この二人の作家の個性を心理的に研究するためでも見当たらない。すべてが本物である。これらイメージの被暗示性は、過ぎ行く一瞬をとらえ、複雑な性質を持つ人物の全体像を把握するこの写真家の特異な才能によるものである。サルトルの表情の影や微笑み、ためらい、皮肉さ、煙草の芳香すら感じさせるような接近の仕方をしている。表現性と繊弱さが交互に現れる。いくつかの日常のイメージは私生活をかすめている。砂丘に座り、靴の中から砂を出そうとしている作家は無力であり、コミカルですらある。裸足で、手にハンドバックをさげたボーボワールとて同じである。我々はそこに風や海、そして砂に立ち向かう都会人の姿を発見する。写真家は、このモデル達に対し常に慎み深く敬意を払って接している。
ボーボワールの回想では、この旅行のあいだ中、サルトルはかなりの量の執筆を行っていたという。しかし、スツクスの写真の魔力は、常日頃慣れ親しんでいる環境を離れた状況下にある二人の作家達の性質の反映からくるものである。彼らの存在は書物、事務所やタイプライター、紙の束、出版社、近しい人物や読者以外のところにあって吟味されている。ニダの地では彼らはまるで未踏の大地にいるようなものである。
ニダでは、スツクスは不可能と思われた事を実現している。彼は、たった一枚の暗示性のあふれる写真を通じて、サルトルの「存在と無」、人類の自由についての考えを余すところなく伝えている。
暗く力強いサルトルのシルエットは、どこからどこへ向かうもなく、地平線の方向に斜めに進んでいる。作家の足取りは重く、性急である。彼は体を前方に傾けている。散歩のために都会人がするように眼鏡をかけ、この年老いた男性は、自然を前にして脆弱であるように見えない。が、この中で彼は異邦人である。偉大で途方もない、サルトルは繊細かつ気取った影を残している。
このニダでの写真は、1965年のリトアニア旅行における、これら詩的で印象的な一連の写真群の原点になるものと言えないだろうか?
訳:結城 麗
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1939 |
リトアニア、カウナス地方に生まれる |
1958-64 |
ビリニュス大学にてジャーナリズムを学ぶ |
1969 |
リトアニア写真家協会創立委員会長になる |
1980 |
リトアニア文化功労賞 受賞 |
1996- |
リトアニア写真家協会会長を務める |
1998 |
リトアニア・ステイト・アート・アワード受賞 |
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その他 受賞多数 |
個展 |
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※120を超える個展を世界各国で開催 |
1974 |
写真ギャラリー(リトアニア・ビリニュス) |
1980 |
写真美術館(リトアニア・シャウレイ) |
1981 |
写真美術館(フィンランド・ヘルシンキ) |
1982 |
写真美術館(スウェーデン・ストックホルム) |
1984 |
Kek in de Kok ギャラリー(エストニア・タリン) |
1985 |
市立美術館(ドイツ) |
1986 |
ニセフォル・ニエプス美術館(フランス・シャロンシュルソーヌ)
フォトセンター(ロシア・レニングラード) |
1987 |
モダンアートギャラリー(ポーランド・ビアリストク) |
1988 |
プレスクラブ(ポーランド・ワルシャワ) |
1989 |
写真ギャラリー(リトアニア・ビリニュス、カウナス) |
1991 |
Tom Hayden ギャラリー(USA・ロサンゼルス) |
1993 |
写真ギャラリー(リトアニア・ビリニュス) |
1994 |
ユダヤ会堂(リトアニア・カウナス) |
1995 |
Na Solianke ギャラリー(ロシア・モスクワ) |
1996 |
ニコンギャラリー(日本・東京)
ユネスコ本部(日本・東京) |
1997 |
Islingron Art Factory(イギリス・ロンドン) |
1998 |
EU本部(フランス・ストラスブール)
ユネスコ本部(フランス・パリ) |
2002 |
「THE PEOPLE 1-2」ストライプハウスギャラリー(日本・東京) |
コレクション; |
リトアニアン美術館、パリ国立図書館、フランス写真美術館、ニセフォル・ニエプス美術館(フランス)、ヘルシンキ美術館(フィンランド)、IPC[インターナショナル・フォトグラフィ・センター](USA・シカゴ)、ミネアポリス現代美術館(USA)、ドレスデンアートギャラリー(ドイツ)、ストックホルム現代美術館(スウェーデン)その他、多数 |
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