Life,art,working process
Pedro Sanchez Diaz ペドロ・サンチェス・ディアス
私のアトリエ空間と私の頭の中での空間がひとつになり、それはまるで自由に出入りできるドアのようだった。
その後、作品や人の体に対する私の考えは大きく変わった。私は、それまで物理的に私達の芸術活動への可能性を制限していた古典的な芸術作品への考え方から解放された。その時以来、私は自分のアトリエを離れどこへでも行き、誰とでも過ごそうと決めた。私は、私自身を無として感じはじめ、それによって私は、他の人々の体内(魂)に入ることができた。私は、私自身を芸術作品として携帯し、それは新しい空間を埋めるように広がっていった。
私は、誰のことも知らない、住もうとしている場所もわからない、ニューヨークへ引っ越した。そして、放浪者のような生活を始めた。アトリエも7、8回替えた。見知らぬ人と見知らぬ場所で生きていくために、私は直感的な洞察力を鍛えねばならなかった。私は毎日新しく生まれ変わった。私は自分の足が進む方向へ歩き、自分が必要としているものを探した。私の出会った人々は、私によくこう尋ねた。「あなたは誰なの?」「どこからきたの?」そうして私はこう答えた。「私は今、自分の人生の意味を探しているところなんだ。」
私は、違う日に2回同じ夢を見た。最初はマドリードで2回目はニューヨークで。それは、砂漠の夢だった。
私は思い出の中を歩いていた
それは朝早い日で
光がすべてのものを包み込み
昼と夜の間を
さまよっていた
ついに私はひとつだけある家にたどりつき
何かが発見できる部屋にすわっていた
『想像上の観客』
彼らは言葉とは違うレベルで
コミュニケーションをとっており
私はそこで理解しがたい何かを見つけた
私は2回目もまたその家が暗黒の砂漠の中に
明らかに位置していたことを覚えている
私の舌で判断した限りでは
そこにでてくるすべてのものが沢山の食べ物であり
廊下は開かれた空間につながっていた
それは今までに経験したことのない
旅立ちであった
私は『想像上の観客にとって砂漠はもっとも適した場所だと思った。砂漠はゼロ地点であり、すべてが可能になる新しい場所であり、軽さや早さなどのはかないものと同じような第六感が働く場所であると感じた。
私は、私の頭の中にだけ存在する作品を作りたかった。昔から芸術作品といえば立体的な塊が思い浮かべられている。しかし、立体的なそれは、内部空間、精神的な空間に入り込むことはできない。『想像上の観客』は、物理的な手段ではなく、想像によってのみ介入できる内に秘めたものをもっていて、その中心には物体(塊)はなく、彼ら自身の考えのみが存在している。すなわち、作品を見る人々は、物理的なものが存在しないということを理解でき、同時に創造してゆくことのできる第六感を使って、作品を見ることになるのである。
日本は、私の人生においてある“時”を意味している。
日々の生活から生まれるたくさんのインスピレーションや、特別な意味や約束をもたないことにより、私はセオリーや芸術作品の作り方から自由になった。
私は自分で見つけた世界の中で本能にしたがって歩いている…。