ストライプハウスギャラリー オープン記念展
Exhibition of photography
Vol-1 -Before and After 1945-Poland
by TADEUSZ ROLKE
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タデウス・ロルケ
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2001.12.15-2002.01.12
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1945年1月16日、ポーランドのカトリックの聖地チェンストホーワにロシア軍が進出した。ポーランド全土を侵略し、ユダヤ人をはじめ多くのポーランド人を隔離したキャンプもチェンストホーワにあった。この町に住むボイチェフ・プロジモフスキは、青年の頃、ヤスナグラ修道院に続くメインストリートに起こったナチスドイツ撤退後の記録映像を、町で見つけた。そして、その16ミリ映画フィルムを引き伸ばし、長い間彼の暗室に眠っていたプリントが、今ここに蘇った。これは、第二次世界大戦終結のドキュメントである。
この生々しいモノクロームの映像に残されていた現場を写真家塚原琢哉が平和の訪れたこの町を同じポジションで撮影した。これは、プラジモフスキと塚原とのコラボレーションである。
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1963 フルシチョフ首相を迎える報道陣
アンジェイワイダ制作映画「灰とダイヤモンド」主演俳優チブルスキー
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タデウス・ロルケ 略歴
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1929 |
ポーランド、ワルシャワに生まれる |
1945 |
Veltaカメラでワルシャワのドイツ軍戦車を隠し撮りした |
1950 |
ナチスドイツに破壊されたワルシャワの廃墟を写し始める |
1951 |
写真を学びはじめたが、スターリン主義の犠牲者の一人として2年間刑務所に入る |
1953 |
美術史の勉強を始める |
1956 |
週刊誌のフォトグラファーとしてプロの写真家の道を歩き始める
「Stolica」誌のスタッフフォトグラファーとなる |
1957 |
ワルシャワの復興が始まる |
1960-70 |
「Polska」総合芸術誌のスタッフとなる |
1970 |
ハンブルグに移住し、ファッションフォトグラファーとしてデビュー |
1980 |
再びポーランドで撮影を始める
映画「灰とダイヤモンド」の主演俳優チブリスキー、タデウシ・カントル、ペンデレツキー等芸術家と交流し、そのレポートを紙面に飾る
ポーランド連体がグダニスクで産声をあげる
フォトグラファーも連体活動に入り、ポーランドが揺れ動き、市民の生活が著しく脅かされる。フォトジャーナリストとして、激動のポーランドを写す |
1990 |
ポーランド無血革命が達成される
写真家としての活動は現在に続く
個展、団体展 多数
ポーランド芸術写真家協会会員
ポーランドワルシャワ在住 |
1962 古城のパフォーマンスルブリン芸術家集団
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